小学校のガキが袴着て化粧して卒業式に出る問題

と言うのが最近の小学校の頭痛の種だそうだ。
うちの子が卒業した時(去年)は袴はいたけど、数人だったように思う。
東京の多摩地区。

僕は他人のガキにまったくもって興味はないけど、普通の女子はAKBちっくなスーツが多かったか。
うちの子はキャサリンコテージのスーツだった。

※イメージです
袴の子は数人いたかいないか。って感じだったな。親が比較的落ち着いている土地だからなのかもしれない。
ヤンキー系はあんまりいないからね。

さて対して美人でもないガキに化粧させて、袴着せて悦に入る本人と親。

「写真館でやれば誰にも迷惑かけないのに」
という意見に賛成。
着崩れただのなんだのと教師に迷惑かけたり、他人に迷惑かけたりすることさえ理解できない親はやはりそれなり。

で着せたくない母親の意見として

 (施設の子も通っている学校で)着たくても着られない子供たちがいるから、その子たちの気持ちを思うと娘に着せたくない。

優しいお母さんじゃないの。
でもそれについたコメントで「そんなの関係ない。施設にいる子の気持なんか関係ない」的な意見を見て引く。

「自分が一番大事」な人が増えて、それを「自分らしさ」なんて言葉で着飾っているに過ぎないエゴ。
 昔「飢えている人々がいるんだから、食べ物を大事に食べなさい」なんて言葉があったり、「お米はお百姓さんが汗水たらして・・・」なんて話があったりしたけど。
 そういう「関わっている人たちの気持ちを汲める」と言うのが日本人の美学だったのではないかな。
 でも今は「そんなの関係ねー。食べたくないから食べ物は捨てる」って時代なんだろ。
 それをいろいろな言葉で着飾って自分を正当化する大義名分を飾り付ける。

 僕も基本的に「他人がどうなろうと」しったこっちゃない。
「助けてくれ」
と言われても笑顔でその手を踏みにじっていくタイプだけど。
 協調性は多分に持っている。自分をどう見せるか。というのは、人心掌握の基本的なことだしね。
 今はLGBTもそうだけど「自分らしさ」という大義名分のもとに、協調性を貶して踏みつけるのが流行りなようだ。
 LGBTの人たちの多くが「協調性」を憎んでいるわけじゃないと思うんだけど。
 特別になりたいから、そのためには他人を踏みつけてもいい。
 そんなのが透けて見えるからイラッとするんだろうね。
 多くのLGBTの人たちが「特別扱いされたくないから、ジェンダーをスルーしてくれる社会を」望んでいると思うんだけどなあ。

 袴問題にしろ、自分らしさ問題にしろ
「すべてには『責任と自己負担』が付きまとうもの」だと思う。
「自分らしさ」を持って・・・なんてきれいごとを言いながら、協調性という窮屈なものを拒否しておいて都合が悪くなったら「助けてくれ」って言うのはおかしいよね。着崩れ生徒はそのままにしておけばいい。自己責任だよね。裸になろうと。
 
 自分らしさ。それは他人にいろいろな面倒ごとを押し付けてもいいという「大義名分」ではない。
 日本人と言うのはとかく、他人の目を気にするものだったような気がするんだけど。
 うちの娘が
「今の日本人なんか半島の人間と変わりゃしねーよ」
と悪態をつくんだけど納得。
 
自由とらしさには、責任が伴う。

 そんなこともわからないなんて。
 あと自分のガキが「可愛い」と思ってるのは親だけだと思っておいた方がいいよ。
 ガキ(子供)=餓鬼(鬼)って同じ音なのはよくできてるなあと思うのである。
 だからこそ我慢を教えなきゃならないのにね。

 我慢するのは犯罪みたいな社会になっちゃって。
 大義名分振り回して、他人に我慢させる奴ほど、「我慢しなきゃいいのに」というんだよね
 ホントクズばっか。
 クズならクズで他人に価値観を押し付けるなよ。と思う。

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